感想あるいは通過点

優しい嘘と化けの皮の下

欲じゃなくて症状や嫉妬だったのでは。

 隣の芝の青さで情緒がおかしくしていたし、そのあとで自分の芝を見てありえないほど落ち込むような人間だった。それらは自己肯定感に強く絡んでいて、度々私を迷子にした。文章という自己表現の場所にたどり着いたのも、とにかく隣に生えてる芝が羨ましかったが故に何かしら茂らせておきたい、と筆を執ったのがきっかけだ。賢い判断だったが、同時にとても愚かだったとも思う。

 そしてこんな内容で開始したが、メインは文章だとか自己表現だとか創作的なコンテンツについてではない。性依存に関してだ。いやたぶん、最終的には(おそらく)自己表現に繋がってくるのだけれど。

 私は性別を片方しか持っていないので、当然もう片方が備えている性器を持ち合わせていない。別に強く違和感があるとか、今の性別に希死念慮を伴うような忌避感情を抱くとかそういうのではない。それは断言しておこう。私は、持っていない方の性器についてくる感覚だとか、それに伴う経験だとか、その性器を持っているという共通認識から発生するコミュニティというものに強く執着していた。私の体では永遠に手に入りようがないからだ。幼稚な悩みだが、当時は本当に幼稚だったのだから仕方ない。

 ちょうどパソコンに触れ始め、「リアルでは絶対に会うことは無いが、親しく連絡を取り合う」という関係性があちらこちらに発生した。当時は中学生、ネット越しの友人に会いに行くというのは色んな観点からして禁忌で、夢物語だった。だからこそ語り合える内容があり、笑いあうことが出来た。その中には当然、性的な内容も存在した。

 性に興味津々な年頃の子どもの前にパソコンなんて置いたらどうなるか、そんなもの考えるまでもない。そりゃあもう欲の限りを尽くして検索し、そういう関係のサイトを見まくる。そしてやっぱり、興味のあるコンテンツについて後腐れない相手とそれで盛り上がりたいと願う。私のコミュニティではそういう話をするための、閲覧制限がかかったチャットが開設されるほどだった。

 普段は性差を感じることがなくても、性そのものの話をすれば自ずと意識はそちらに行く。私はそういうのが好きではないとされている性別の方だったから、そもそも話に入れてもらえないということもあった。悔しかった。私だって興味はあるのに、生まれついた性別のせいでこんなにも不遇な目にあうのか、と怒りに燃えた。そこで私がやったのは「いかにそれに対して積極的であるか」という証明だった。

 単語ひとつで喜ぶような年齢である。おそらく、「スケベ単語版広辞苑」的なものが存在してそれを独占出来たなら、神様に等しい扱いを受けていたのではないかと思う。知識の深さは性的ジャンルの単語をどれだけ知っているかと、それの意味を正しく知っているかという点に収束していた。

 年齢的にも権利的な意味でもちょっとよろしくない漫画サイトを読みふけり、その漫画につけられていた大量のジャンルタグの中で興味をそそられた物や知らない物があればそのタグに飛び、また読みふける毎日を繰り返した。当然、ゲテモノもたくさんあった。嘔吐恐怖症だというのに吐物を性的に見るタイプの漫画だって読んだ。

 結果だけ言うのなら、私は勝利を収めた。知識量で圧倒し、名誉的に立場を認められた。そこで終われば、私はただのちょっとやべーやつで済んでいたかもしれない。

 手段と目的が入れ替わる、というのはこういう時に使う言葉なのだと思う。私はすっかり性的知識の収集に没頭するようになった。知らないことを知る、それが楽しくて仕方がない。脳のシナプス歓喜する。それに関して言えば、今も習慣として完全に消えたわけではない。そのおかげか、電子書籍サイトの本棚はわりとこってりとしたニッチジャンルで埋まり、実用のために開くとちょうど良いものがなくて困ることさえある。

 現実的な問題が大きくなるのはここからだ。知識の中には、私が自分の身を犠牲にすることで得られるタイプの物があった。絶対にそれを得られない時に膨らんだ興味は一気に爆発した。ゲームを取り上げられた子どもが大人になった時に中毒者になるのと同じだ。病んだし、体は傷ついて文字通り血を流した。そしてまたそこで目的は代わり、知識以外の物を欲するようになった。

 そこにあったのは、すっかり出来上がった性依存症患者の姿だった。まわりから見れば単なる快楽に溺れただけの人間だったが、私だけは、私がそこに求める別の物を知っていた。私の性別では得られないもの、過程で失ったもの、そして知らないもの。全てだ。結果として残る、両者間での支配感。それをすると決める自己決定権。まだ見ぬ娯楽、秘められた場所でのみ発生する研ぎ澄まされた演目。

 性的に放漫であるというのは客観的な事実であり、同時に都合の良い皮だった。そういうことにしておくと、楽しいことが自分から寄ってきてくれる。猫に食われる鼠でしか無いと知りながらも、それによって得られるスリルと経験はあまりに尊かった。今でもそうだ。安全策は講じても、根本は変わらない。

 危険も快楽も私にとっては同じ刺激物だったし、それらは等しく麻薬だった。それの中毒者であったことは否定しようもない。自己正当化するような文を少しばかり同情を誘うような書き出しで垂れ流してはいるが、事実として中毒者だったし依存症患者だったのだ。違うと言って何になる。

 ひとつ言いたいのは、それらが私の生来持っていた性質なのではなく、趣味が高じた結果であるということだ。そしてそうなった理由には症状や感情が絡んでいる。この性格自体が大きな症状であると言って過言ではない。だから治療が終わってしまったり、私が私と和解してしまえばそれらはあっけなく消えるだろう。だって症状なのだから。

 私は今こうであるが、これからもこうである保障はなく、全ては通過点にすぎない。スケベスキーとしてコンテンツを生み出す創作者になるのか、肯定されやすい自己表現に縋るのか、あるいはそのどちらも捨ててしまって別の方角に歩みを進めるのか。私は自分が織りなす人生という物語の展開が楽しみで仕方がない。