感想あるいは通過点

優しい嘘と化けの皮の下

モラトリアムからの脱出を他人任せにしている

 大好きな歌手がいる。ネットの片隅で、彼女のファンと彼女を発見した人、という言葉同士をまだイコールで結べた時代から。存在として小さく、影響力も少なかった。年齢としてもまだ幼く、ところどころに拙さがあった。本人曰く、語彙力は53万あったらしいが。

偶然発見してしまいました。

 プロデューサーの、彼女に対するそんな言葉を忘れられないでいる。あまりにも私と同じだった。彼らにプロデュースされ、後押しされた姿しか見ていない私が同じというには少々烏滸がましいが、彼女を観測しているという点において、私と彼らは同等である。魅了され、憑りつかれてしまった。

 

 ただ最初は、美しいと思っていた。私が前から好きな作曲家とのコラボもあり、好きな声で好きな歌詞を紡いでくれる存在……というのが私の中での印象として、大きかったのを否めない。

 人に対して期待なんて出来ない。共感なんて出来るわけがない。私と他の人には悲しいまでに溝があって、踏み越えることも、寄り添われることも出来やしない。たまに心をかすめてくる物らだって本当は、全部彼らにとっては虚構なんだ。

 今思えば、あまりに苦々しい感情だった。向き合いたくなくてそっぽを向いていた。ただ、学校で課題となる「心震える曲」を歌わされるたびにぼろぼろと何かを失っていく感覚はまだ覚えている。

 寄り添う曲が寄り添ってくれない、それが私の真実である。というのを、彼女はたった一回のライブで塗り替えてしまった。

 好きなものがある、それに対して世界は残酷である。
 取り繕われた、わかりやすい、それでいてコンセプトである理解の出来なさを見事にマッチさせた曲だった。大人がお金を集め、人材を確保し、作り上げられた物。そうわかりきっているのに、歌いあげられたそれは彼女の真実だと錯覚させられた。虚構性を疑えない。ただ共感で心を震わせるしかない。あまりに無力で、心地よかった。満ち満ちているのに、重荷をただ引っぺがされるのみで上手く言葉に落とし込めない。人間は光を手に取ることは出来ないのだ。今なら、あの時よりはわかる。
 人からぶれてしまった足掻き。世界への疑問。そんなものを声高に、そんなに誇らしげに歌っていいのか。許されてしまうのか。自分が出来なかったことをそんな風に。
 共感と衝撃があった。クリエイターの内側を探るなんて今までしたこともなかったのに、知りたい気持ちと知らないでおきたい気持ちがぶつかりあった。知ることで、人間として輪郭を捉え、個人という存在に堕としてしまうことを恐れた。美しい外側と紡ぎ出される創作物に喜んでいるべきだと、作り上げてきた自分の中の常識も囁いていた。

 

 私は考えることをやめた。忙しさに殺されて、緩やかに感動を忘れてしまった。どんなに熱くても、喉元を過ぎてしまえば全て同じなのだ。時間とは残酷である。

 

 彼女は緩やかに力を蓄え、プロダクション所属の歌手仲間も増えた。そして今日、武道館に立ったのである。いつの間にか彼女自身は高校を卒業していた。追い切れていない一面があることを知っていたので、今回もそれらの一部にしてしまうことも出来た。チケットを買ったのは本当に気まぐれだった。

 画面の中の彼女は、足掻き、諦め、それらを乗り越えていた。成功しているからと言えばそれまでだが、それだけでは言い表せないほどに成長していた。過去を喰らい、海に化け、人を気取る。表現するものもまた、それに合わせて変化していた。未熟さを売りにし続けようと思えばできる。それをしない。等身大がそこにあった。過去の姿もまた、等身大だった。

 ここでタイトルだ。大人になるべきなのに成熟せず、踏みとどまったままでいる自分という存在が、今日初めて見本とすべき生き様を見つけたのだ。言葉として理解するのと、心で感じるのは違う。自分でいつかどうにかしなくてはいけないとも、もう乗り越えたとも思っていた。でも違った。あんなに明確に苦しんで、それをなんとかするなんてことはしてはいない。彼女自身はまだ社会的に大人ではないかもしれないが、なぞるべき姿がそこにあり、それを見た私の中の何かが打ち破かれた。打ち破かれている。きっと今も。これからも。

 私も人を気取ろう。彼女のように。私が頑張れなくなった時にも、彼女が別のところで輝き続けているのはなんと心強いんだろうとも思った。

 

 あそこで感じた、人並みの感動は書く必要もない。素晴らしかった。あなたと言ってもらえて嬉しかった。お互いありがとうと感じ合った。それだけ書き残せば記録としても充分だろう。