感想あるいは通過点

優しい嘘と化けの皮の下

そもそも感情が欠落以前に希薄すぎる

 いろいろ欠落してる、みたいな話を何日か前にブログで話した。私は心配というのがパーツとして欠けていて、取り繕うのを忘れると結構非人道的な振る舞いをとってしまう。致命的に嫌われるとかはその時点ではあまりないにしろ、結構気味悪がられる。

 それに関してどこまで人とずれてるのかな、と考えてみると、そもそも感情発生において人とかなり莫大な差が発生している、ということに気づいてしまった。

 楽しい、嬉しい、好きという感情がまずかなりの余裕がないと湧き出てこない。

 これに関しては持病も関係していると思うが、私はプラスの感情を持つのが難しい。娯楽を嗜んだり美味しいものを食べたり人と話したりすることに一定の好ましさというか、やらないよりはやった方が刺激があって良いな、と感じるがそれをやることで得られる楽しさみたいな物への執着があまりない。それが出来ないことに対する不満のようなマイナス感情は一応発生するものの、湧き出てきやすいものらが少し人とずれているのではないかと思う。

 美味しいものに対しては純粋に好き!美味しいものをお腹いっぱい食べたい!となるし、しばらく美味しいものを食べてないとだんだん心が荒んでくる。疲れたから自分を労うためにアイスを買う、というなかなかに人間臭いことも普通にする。

 しかしそれ以外に対して好意的な感情がちょっと生活に支障が出るくらい出にくい。仲の良い人らへの評価はすぐに「(どうでも)いい人」になるので自分が感じている以上の好意アピールをしなければ嫌っていると思われて疎遠になるし、そもそも自分がどうでもいいと感じてしまうのでこちらからのアクションが全体的に億劫になってしまう。純粋に他人と関わりたい!と願うことが出来ればよかったのだが、そうではないせいで「そろそろ連絡取らないと疎遠になってしまうな、よし好意的なアピールをしておくか....」というかなり不純な思考パターンをせざるを得なくなる。友達だと思っていたのに相手から接待的な感情を抱かれていた、なんて誰でも不快になるだろうというのはさすがに予想がつくが、それでも思考回路はなかなか都合よく変化してはくれない。それで放置しておくとだいたいの人と疎遠になるあたりちょっと相手から友達だと思われているのかも怪しいのだが、自分に対する好意を感じられない人に冷たくなるのは万人に言えることではないだろうか。何もしてこない相手に何もしたくないのは痛いほどよくわかるし。感情が出にくいだけで、集中的に好感度が上がるようなイベントが発生すれば一時的にわぁい!やっぱりこの人好き!とはなるので、私は対人の好意的振る舞いを「好意の先払い」と呼ぶことがある。

 この人が好き、だから話したい、ではなくこの人に好ましい感情を抱く勝算のようなものがあるので、私はこの人に好意を示しても問題が発生しない、みたいな。

 この感覚に対する標本が私しかいないせいで上手く表現できないが仕方ない。私が私のために書くブログなのでそこは許されたい。

 娯楽に関しても、「これをするのが好き!」というものを強く持たない。何かをする時の殆どの動機は何もしないという状態が多大な不快感を生じさせることがわかっているので、それを誤魔化すコンテンツに触れる行為が強化されている...というものだ。心理学用語で言えば“負の強化”にあたる。何かを行うと嫌な刺激が消えるので、その行動が増えるというやつだ。なので無駄な思考を押しつぶすことが出来る、単調で反復性が強いものや脳死で情報を頭に流し込めるものによく惹かれる。Twitterなんかが良い例だ。なので趣味について聞かれると困ることが多い。楽しいことをするのは好きだが、趣味と言えるほどの熱量を持っているわけではない。それらを趣味、と表現するのは言葉に対して不誠実がすぎるな、と感じてしまいよく口ごもる。曖昧で豊かな情緒は持ち合わせていない癖に、言葉に対しては人一倍こだわりを持っているというのはなんだか皮肉だと思う。

 アニメを見るのが好きだが、それは他者に遅れを取りたくない、という意味合いが強い。私は、私の知らないものを楽しそうに話している姿に嫉妬してしまうことを知っている。根っこにあるのはいつも「皆ゲーム持ってるよ、私もほしい」と母親に駄々をこねる幼稚な感性だ。そのせいでゲームに関しては「流行っているから買った」物が多く、その殆どがクリアまでプレイ出来ていない。まわりの人がクリアしてしまうとかして話題にすることをやめ、楽しさを享受するという行いの競争相手が表面的にいなくなったりすると、途端にやる気が失せてしまう。同調圧力に対してとても適応力が高い、とも言えなくないが流行りに流されやすいミーハーと言ってしまえばそれまでだ。

 骨の髄まで染みついた他人に後れを取りたくない、という意識が娯楽にまで影響を与えてしまっている。これに関してはどこまで他人と感情を共有できるかわからない。イナゴっぽい人とは頷きあえるかもしれないが、「え、そんな義務的な感情でアニメとか見てるの」とちょっと嫌な顔されてもあまり文句は言えない。事実なのだし。

 これらに関しては学習的な、後天的な要素が強く影響しているのではないかと思う。それについてはまた今度改めて。