感想あるいは通過点

優しい嘘と化けの皮の下

あの頃に戻りたい

ㅤあの頃に戻りたいな、と思ってしまう。私が私を真っ直ぐに愛していた時期。私の事が可愛くて仕方なくて、自己肯定感とやらに溢れていた時期。ちょっと知った気になって、無知の知から目を背けていたあの頃。

ㅤ私が私を愛せていないことに気づいていなかったあの頃に戻りたい。

ㅤそうだ。あの頃なんてものは存在していない。数ヶ月前、数年前、数十年遡ってもそんなこと、「自身を愛する」なんてこと1ミリも成しえていなかった。私は深いところで眠りこけて、別の私が必死に私を取り繕っていた。子どもらしい身勝手な万能感。歪みきったある意味で正常な、不甲斐なさからの逃避行動と認知はもはや清々しいと言えなくもない。そこだけ切り取って見れば、私だってそこに戻りたいのだから。私は私を愛していると過信しなければいけなかった。そうでないと、守れなかったのだろう。「愛しく、かけがえのない存在だ」と自分だけでも途切れず思い続けないと、物理的にも損傷して、今ここに居られなかったかもしれない。それぐらい不器用なのだ。

ㅤ愛されたいと願ってしまって、目を曇らせて見ないようにしていたものを見てしまった。自分も他人も愛せない、ただ痛みだけに癒しを感じる己という存在に気づいてしまった。私の好きな物たちが、私を傷つけ深い傷を残すことで古傷を誤魔化すために用意された物だという事実に辿り着いてしまった。

ㅤどうりでやりたいことをやると胸元が苦しくなるわけだ。どうやら思っていたほどは、破綻したことで快楽を得る異常者ではなかったらしい。死ぬのも苦しむのもいっちょ前に嫌だ。でもそれらを目の前にして苦しんだり、もう苦しむことすら出来なくなることを想像すると古傷が少しだけ気にならなくなる。だから求める。1晩で消えてしまう安寧のために、新しい傷口で3日呻くことを選んでしまう。でもそれらをしないと常に薄ら息苦しいのだ。ただ深呼吸をしたかった。

ㅤ誰かに消費されたがるのも、これが一因ではあるのだろう。自分にすら必要とされないことから来る悲しみだから、必要とされれば多少和らぐのだ。その瞬間だけは舌を喜ばせ腹を満たす誰かのための自分たりえるのだと。消費するに値するものを楽しんでる時ぐらい、その消費物を相手は愛するよね、と淡く期待して。それに自主性を見出して、無邪気に私は自分をコントロールしているのだと錯覚していた。釣りか何かでもしている気分でいたのだろう。針先の餌が己の全てだとは気づかずに。触れられているのは表面だけだと思っていた。ぐちゃぐちゃに複雑骨折しているじゃないか。

ㅤそれでも、だ。

ㅤそれを知ったところで、私は一体今後どうすればよいのだろう。

ㅤアプローチが間違っていたとわかっても、それで正解がわかるわけではない。ただそれが不正解だというひとつの答えが導き出されただけだ。苦しいことに変わりはない。どうしようもない。どうしようもないと見放してしまうあたり、悪化してるとさえ言える。私は私に真剣になれない。死んでしまえばいい。私は自分が憎くて仕方ない。でもどうしようもない。

ㅤいつだか口にした、良き加害者になることを願う素振りの本来の目的が、その効果が、今になってようやくわかった気がする。きっと無意識ではそれが1番の鎮痛になると知っていたのだ。馬鹿だったけど、愚直だった。それで死ぬことを選ばず済んでいるのだから、周り道としては大正解でもある。

ㅤ時を戻すことが出来ても、環境が変わらない限り私はきっと同じことをする。1つたりとも失いたくない。強くてニューゲームなんて存在しない。思考旅行が無機質に一泊、また一泊と延びるだけ。

ㅤそう考えると、ちょっとだけ愛することが出来ていたような気がしなくもない。私のために頑張れたんだ、偉いねと思うと返事の代わりに涙が溢れてくる。

ㅤハッピーとまではいかなくても、トゥルーエンドは拝みたいもんね。