感想あるいは通過点

優しい嘘と化けの皮の下

ピントがあった世界に帰れない

 近視と乱視を持ち合わせているせいで、私は遠くが良く見えない。近くの物も若干ブレて見える。

 中学生の時に視力について注意を受けた。両目で視力が違うため、将来ガクンと視力が下がりやすい状態にあるという。本格的に悪くなって生活に支障を来たす前に眼鏡を作って慣れさせた方が良いと言われた。当時の私は眼鏡キャラに憧れていたのもありスキップを踏んで眼鏡を作りに行った。ある意味朗報だったわけだ。

 何度か作り直し、その間にも視力はだんだんと落ちていった。スマホ中毒なせいもあると思う。光の刺激自体は疲れ目を引き起こすだけという説もあるが、手元ばかり見て眼球のピントを合わせる能力を使わなかったのだから、そりゃ視力も落ちる。使わなければ眼球だって鈍るのだ。

 現在私の視力は生活に支障を来たすレベルに到達しており、看板などを読むことが若干難しくなっている。特に駅構内の案内などはちょうど私の見えない距離感とサイズの塩梅のせいで、近くに寄るまで何を示しているかさっぱりわからない。都営地下鉄なんかの、着色された丸い記号がやたら好きになった。自分の目的地に向かう電車が何線なのか、それはどの色なのかを覚えてさえいれば、駅構内までは文字を読む必要が無い。

 もちろん、見えないものは看板だけではない。遠くにいる人の顔、教室のスクリーン、色んな「見なくてはいけないもの」が見えない。うんと目を凝らせば日常生活には困らないが、授業中は予め眼鏡をかけるようになった。パソコンで作業する時にも、乱視が影響しているのか若干文字がぶれて見えるので、それによる疲れを回避するために眼鏡を出す、ということが増えた。

 日常生活に莫大な支障をきたしているわけではないし、眼鏡がなくても一応は生活していける。実際、駅構内だろうが看板を確認することが必須な入り組んだ街だろうが、眼鏡をかけることは滅多にない。面倒くさいというのもあるが、習慣にないというのが大きい。

 眼鏡に慣れさせた方が良いという言葉の「慣れ」には、目が長時間矯正された状態であっても痛くならないようにするという意味とは別に眼鏡をつける習慣そのものを身に着けるというのもあったのだろう。習慣という熟語だって、習う慣れと書くのだし。

 私は他者の顔が見分けられなくても看板が瞬時に判別出来なくても困らない。支障がないわけではないが、それは危機感を覚えるような重大な困難足りえない。そもそもあまり外に出ないし、人に会うこともない。覚えることがまず苦手なので見えたところで識別できるわけでもないし......。とにかく、眼鏡をかけることに関する動機が薄すぎるのだ。

 動機が薄い、必然でない、それこそが私の日常生活への支障の根幹である。私が眼鏡をかけるには、もはややる気以外何も理由がつけられないのだ。人は苦痛があれば心が改善に対し積極的になるが、そうでなければ楽な方へと流れていく。問題をなあなあにして、やる気を出さなくて良い理由を探すことに熱中する場合すらある。この記事を書いてる今だって、長年の勘で若干ぼやけた文字を見ながら打っている。眼鏡をかければもっとクリアに見えることは知っているが、自分で書いた文章なんてそこまで真剣になって読み返すことはあまりない。せいぜい誤字脱字チェックくらいで、記憶と照らし合わせればぼやけていても最終的にはなんとかなってしまう。だからこそ習慣付けが進まない。

 私だって、世界が霞んだままよりもピントがあっていた方を望む。眼鏡をつけると毎回こんなにも世界は美しかったのかと感動するし、活字が生み出す滲みのない黒と白のコントラストを視線でなぞるのは心が躍る。それでも、私は眼鏡をかけない。いや、私という存在は眼鏡をかけようとしてくれない。一日が終わって、目をしょぼしょぼさせながらああそういえば眼鏡をかけていれば、なんて言うのだ。馬鹿げている。

 私という存在は、生来こだわりが強いのだ。融通が効かないとも言う。靴、服、食事、友人関係、色んなものがそれで制限を受けている。決まったものしか食べられず、決まった服しか着れない。成長期でどんどん服や靴がサイズアウトしていくのは、苦痛極まりなかった。

 慣れたものから変えたくない一心で纏足でもしているのかというほどきつい靴を履き、その中では穴が広がりすぎてもはや虚無のところどころに布を縫い付けてたような靴下だったものを足にまとっていた。成長につれだんだんと許容範囲は広がっていったが、それでも出来れば毎日同じ物を身に着けたいし、同じ物を食べたいというのに変わりはない。慣れないと困る範囲だけ無理やり矯正された、と表現するのが正しい。

 そんな私が、一朝一夕で眼鏡を受け入れられるわけがなかった。目が普段とは違う負荷を受け、鼻あてと接触する部分がくぼみ、耳元ではマスクの紐や髪とツルの部分が渋滞を起こす。不快な要素が無視出来る範囲を超えていたのだ。憧れも数日で捨ててしまった記憶がある。

 そんなことをしてる間に、世界のピントはどんどんずれていく。

 いい加減なんとかしたい。そもそも私は認知特性において聴覚がかなり弱いのだ。文字にしろ映像にしろ、認知において言えば視覚がかなりの割合を占める。英語どころか日本語だって耳単体では拾いきれないことがある。そんな私から視界を奪えばどうなるか。世界を認識するための情報そのものがピンボケを起こす。思考そのものが奪われかねないのだ。ぼやけた視界を補正するのに使っているキャパシティを使えばもっと深く思考できるのに、常時それが制限を受けているという可能性だってある。ちょっと考えれば眼鏡をかけないデメリットなんで抱えきれないほど出てくる。でも、習慣は未だついていない。

 今回ブログを書くにあたってこのトピックを選んだのは、自分に危機感を叩き込むためでもある。頼むからいい加減にしてくれ。私。もうお前の目だけじゃ世界は捉えきれないんだと気づいてくれ。些細な支障が大きな事故を招きかねないことに恐れてくれ。

 それで早く眼鏡をかけてくれ。

あの頃に戻りたい

ㅤあの頃に戻りたいな、と思ってしまう。私が私を真っ直ぐに愛していた時期。私の事が可愛くて仕方なくて、自己肯定感とやらに溢れていた時期。ちょっと知った気になって、無知の知から目を背けていたあの頃。

ㅤ私が私を愛せていないことに気づいていなかったあの頃に戻りたい。

ㅤそうだ。あの頃なんてものは存在していない。数ヶ月前、数年前、数十年遡ってもそんなこと、「自身を愛する」なんてこと1ミリも成しえていなかった。私は深いところで眠りこけて、別の私が必死に私を取り繕っていた。子どもらしい身勝手な万能感。歪みきったある意味で正常な、不甲斐なさからの逃避行動と認知はもはや清々しいと言えなくもない。そこだけ切り取って見れば、私だってそこに戻りたいのだから。私は私を愛していると過信しなければいけなかった。そうでないと、守れなかったのだろう。「愛しく、かけがえのない存在だ」と自分だけでも途切れず思い続けないと、物理的にも損傷して、今ここに居られなかったかもしれない。それぐらい不器用なのだ。

ㅤ愛されたいと願ってしまって、目を曇らせて見ないようにしていたものを見てしまった。自分も他人も愛せない、ただ痛みだけに癒しを感じる己という存在に気づいてしまった。私の好きな物たちが、私を傷つけ深い傷を残すことで古傷を誤魔化すために用意された物だという事実に辿り着いてしまった。

ㅤどうりでやりたいことをやると胸元が苦しくなるわけだ。どうやら思っていたほどは、破綻したことで快楽を得る異常者ではなかったらしい。死ぬのも苦しむのもいっちょ前に嫌だ。でもそれらを目の前にして苦しんだり、もう苦しむことすら出来なくなることを想像すると古傷が少しだけ気にならなくなる。だから求める。1晩で消えてしまう安寧のために、新しい傷口で3日呻くことを選んでしまう。でもそれらをしないと常に薄ら息苦しいのだ。ただ深呼吸をしたかった。

ㅤ誰かに消費されたがるのも、これが一因ではあるのだろう。自分にすら必要とされないことから来る悲しみだから、必要とされれば多少和らぐのだ。その瞬間だけは舌を喜ばせ腹を満たす誰かのための自分たりえるのだと。消費するに値するものを楽しんでる時ぐらい、その消費物を相手は愛するよね、と淡く期待して。それに自主性を見出して、無邪気に私は自分をコントロールしているのだと錯覚していた。釣りか何かでもしている気分でいたのだろう。針先の餌が己の全てだとは気づかずに。触れられているのは表面だけだと思っていた。ぐちゃぐちゃに複雑骨折しているじゃないか。

ㅤそれでも、だ。

ㅤそれを知ったところで、私は一体今後どうすればよいのだろう。

ㅤアプローチが間違っていたとわかっても、それで正解がわかるわけではない。ただそれが不正解だというひとつの答えが導き出されただけだ。苦しいことに変わりはない。どうしようもない。どうしようもないと見放してしまうあたり、悪化してるとさえ言える。私は私に真剣になれない。死んでしまえばいい。私は自分が憎くて仕方ない。でもどうしようもない。

ㅤいつだか口にした、良き加害者になることを願う素振りの本来の目的が、その効果が、今になってようやくわかった気がする。きっと無意識ではそれが1番の鎮痛になると知っていたのだ。馬鹿だったけど、愚直だった。それで死ぬことを選ばず済んでいるのだから、周り道としては大正解でもある。

ㅤ時を戻すことが出来ても、環境が変わらない限り私はきっと同じことをする。1つたりとも失いたくない。強くてニューゲームなんて存在しない。思考旅行が無機質に一泊、また一泊と延びるだけ。

ㅤそう考えると、ちょっとだけ愛することが出来ていたような気がしなくもない。私のために頑張れたんだ、偉いねと思うと返事の代わりに涙が溢れてくる。

ㅤハッピーとまではいかなくても、トゥルーエンドは拝みたいもんね。

まだ私は世話をしなくちゃいけないのか

 私はきょうだい児というタイプに分類される。つまりはそういうことだ。生い立ちはその他大勢とは少し違っていて、それはおいそれと他人に共有できない。私の苦悩は私だけのものであり、ネットを使わなければ近しい状況の人に出会うことは叶わない。そしてそうやって出会った人だって、程度の違いでわかりあえなかったりする。私だけのものというのはそういうことだ。状況の真っただ中ではそれを苦悩であるとすら自覚できず、己をすり減らす。そういうタイプの“社会の”病気だ。福祉から零れ落ちた、透明な存在。

 たくさんの後遺症を残しつつ、峠は越したと思っていた。私は手間暇をかけなければいけないという点において解放されたのだと。将来また向き合わねばいけないということを置いておいて、少なくとも一息つくことが許されたのだと。どうやらそうはいかないらしい。

 そういうことの一因として、母にもそういうところがある。生まれつきグレーで、それは生育環境で確定的なものになった、と推測出来た。毒親とも言えるし、ただただ可哀想で、愚かな被害者とも言える。そういうことに巻き込まれると、人間性は極端に歪む。これは悪い人間になったとかではなく、ただただ本人がぐちゃぐちゃにひん曲げられて生きにくい性質になるということを指す。時にコミュニケーションで問題を呼びこみ、時に精神的な二次障害を引き起こす。ここで私は母を徹底的に嫌うことも蔑むことも出来ないのだって、そういうことの影響だ。

 私はようやく子守りが終わったと思っていたのに、今度は親がそれをしなければいけないところまで落ちてきた。私には母がもう大人には見えない。その内面は怒られることを恐れている「大人に睨みつけられている子供」であり、常にしょんぼりと下を向き歯切れを悪くしている幼子が姿に重なる。私は母がきちんとその意志を外に発信できるよう手伝わなければいけない。そうしなければ、母の心の悲鳴とそれを怒鳴りつける父の咆哮で耳をおかしくする。やりたくなければやらなければいい、という段階に私はまだたどり着けていない。この小さい世界が私の全てで、生きるためにはまだそこにいる必要がある。檻もないのに、私は縛り付けられたままだ。

 老いた結果柔軟さを失っていく、ということ自体は想定していた。いつかの話ではなく微々たるものながら既にそれは起きていて、少しずつ酷くなっていくものだと。もしかしたら避けられるという希望ははなから無かった。でも精神的な介護が、ある意味育児が、もう始まってしまうだなんて夢にも思わなかった。

 大丈夫だよ怒ってないよとなだめながら、それで怒りを覚えるわけではないよと異議を申し立てる。会話は常に喧嘩だ。何より、両親双方が「そうしていればよい/そうすべきだ」と強固に信じ切っているのがなによりもつらい。声の大きさと説得力は比例しないし、相手の顔色を窺って秒単位で意見と立場を変えることは考えの共有に関して大きな障害になる。なのに両親はそれを知ろうとしない。話せば話すほど音量を上げていき、手のひらを回転させる。そのせいで話は本筋から離れ、会話は説教となり着地点を失う。もう両親は私抜きで「〇時に起きるよ」「わかった」という些細な意見すら疎通させることができない。

 母の趣味のせいで、そもそも母は父の言葉に気づくことすらできない。でも父は、怒鳴ればなんとかなるので気づくまで怒鳴る。なんとかなるというのは、音量で母が気づくのと私がその怒鳴り声で疲弊して母に合図をして気づかせるの両方を意味している。私自身の行いが父の怒鳴り癖を強化していると思うと、その事実に対してもげんなりしてしまう。もちろんどうにかしてくれと日々言っているのだが、両親は聞く耳を持たない。もう彼らは能力的に、それを持つことが叶わない。私がいなくなったら何か変わるのかもしれない。でも当分そうはならないから、わからない。私には知る術がない。私は今日も、「ちゃんとお父さんとお話ししたよ、お出迎えもした」と嬉々として報告する母を偉いねと褒めるのだ。

そもそも感情が欠落以前に希薄すぎる

 いろいろ欠落してる、みたいな話を何日か前にブログで話した。私は心配というのがパーツとして欠けていて、取り繕うのを忘れると結構非人道的な振る舞いをとってしまう。致命的に嫌われるとかはその時点ではあまりないにしろ、結構気味悪がられる。

 それに関してどこまで人とずれてるのかな、と考えてみると、そもそも感情発生において人とかなり莫大な差が発生している、ということに気づいてしまった。

 楽しい、嬉しい、好きという感情がまずかなりの余裕がないと湧き出てこない。

 これに関しては持病も関係していると思うが、私はプラスの感情を持つのが難しい。娯楽を嗜んだり美味しいものを食べたり人と話したりすることに一定の好ましさというか、やらないよりはやった方が刺激があって良いな、と感じるがそれをやることで得られる楽しさみたいな物への執着があまりない。それが出来ないことに対する不満のようなマイナス感情は一応発生するものの、湧き出てきやすいものらが少し人とずれているのではないかと思う。

 美味しいものに対しては純粋に好き!美味しいものをお腹いっぱい食べたい!となるし、しばらく美味しいものを食べてないとだんだん心が荒んでくる。疲れたから自分を労うためにアイスを買う、というなかなかに人間臭いことも普通にする。

 しかしそれ以外に対して好意的な感情がちょっと生活に支障が出るくらい出にくい。仲の良い人らへの評価はすぐに「(どうでも)いい人」になるので自分が感じている以上の好意アピールをしなければ嫌っていると思われて疎遠になるし、そもそも自分がどうでもいいと感じてしまうのでこちらからのアクションが全体的に億劫になってしまう。純粋に他人と関わりたい!と願うことが出来ればよかったのだが、そうではないせいで「そろそろ連絡取らないと疎遠になってしまうな、よし好意的なアピールをしておくか....」というかなり不純な思考パターンをせざるを得なくなる。友達だと思っていたのに相手から接待的な感情を抱かれていた、なんて誰でも不快になるだろうというのはさすがに予想がつくが、それでも思考回路はなかなか都合よく変化してはくれない。それで放置しておくとだいたいの人と疎遠になるあたりちょっと相手から友達だと思われているのかも怪しいのだが、自分に対する好意を感じられない人に冷たくなるのは万人に言えることではないだろうか。何もしてこない相手に何もしたくないのは痛いほどよくわかるし。感情が出にくいだけで、集中的に好感度が上がるようなイベントが発生すれば一時的にわぁい!やっぱりこの人好き!とはなるので、私は対人の好意的振る舞いを「好意の先払い」と呼ぶことがある。

 この人が好き、だから話したい、ではなくこの人に好ましい感情を抱く勝算のようなものがあるので、私はこの人に好意を示しても問題が発生しない、みたいな。

 この感覚に対する標本が私しかいないせいで上手く表現できないが仕方ない。私が私のために書くブログなのでそこは許されたい。

 娯楽に関しても、「これをするのが好き!」というものを強く持たない。何かをする時の殆どの動機は何もしないという状態が多大な不快感を生じさせることがわかっているので、それを誤魔化すコンテンツに触れる行為が強化されている...というものだ。心理学用語で言えば“負の強化”にあたる。何かを行うと嫌な刺激が消えるので、その行動が増えるというやつだ。なので無駄な思考を押しつぶすことが出来る、単調で反復性が強いものや脳死で情報を頭に流し込めるものによく惹かれる。Twitterなんかが良い例だ。なので趣味について聞かれると困ることが多い。楽しいことをするのは好きだが、趣味と言えるほどの熱量を持っているわけではない。それらを趣味、と表現するのは言葉に対して不誠実がすぎるな、と感じてしまいよく口ごもる。曖昧で豊かな情緒は持ち合わせていない癖に、言葉に対しては人一倍こだわりを持っているというのはなんだか皮肉だと思う。

 アニメを見るのが好きだが、それは他者に遅れを取りたくない、という意味合いが強い。私は、私の知らないものを楽しそうに話している姿に嫉妬してしまうことを知っている。根っこにあるのはいつも「皆ゲーム持ってるよ、私もほしい」と母親に駄々をこねる幼稚な感性だ。そのせいでゲームに関しては「流行っているから買った」物が多く、その殆どがクリアまでプレイ出来ていない。まわりの人がクリアしてしまうとかして話題にすることをやめ、楽しさを享受するという行いの競争相手が表面的にいなくなったりすると、途端にやる気が失せてしまう。同調圧力に対してとても適応力が高い、とも言えなくないが流行りに流されやすいミーハーと言ってしまえばそれまでだ。

 骨の髄まで染みついた他人に後れを取りたくない、という意識が娯楽にまで影響を与えてしまっている。これに関してはどこまで他人と感情を共有できるかわからない。イナゴっぽい人とは頷きあえるかもしれないが、「え、そんな義務的な感情でアニメとか見てるの」とちょっと嫌な顔されてもあまり文句は言えない。事実なのだし。

 これらに関しては学習的な、後天的な要素が強く影響しているのではないかと思う。それについてはまた今度改めて。

欲じゃなくて症状や嫉妬だったのでは。

 隣の芝の青さで情緒がおかしくしていたし、そのあとで自分の芝を見てありえないほど落ち込むような人間だった。それらは自己肯定感に強く絡んでいて、度々私を迷子にした。文章という自己表現の場所にたどり着いたのも、とにかく隣に生えてる芝が羨ましかったが故に何かしら茂らせておきたい、と筆を執ったのがきっかけだ。賢い判断だったが、同時にとても愚かだったとも思う。

 そしてこんな内容で開始したが、メインは文章だとか自己表現だとか創作的なコンテンツについてではない。性依存に関してだ。いやたぶん、最終的には(おそらく)自己表現に繋がってくるのだけれど。

 私は性別を片方しか持っていないので、当然もう片方が備えている性器を持ち合わせていない。別に強く違和感があるとか、今の性別に希死念慮を伴うような忌避感情を抱くとかそういうのではない。それは断言しておこう。私は、持っていない方の性器についてくる感覚だとか、それに伴う経験だとか、その性器を持っているという共通認識から発生するコミュニティというものに強く執着していた。私の体では永遠に手に入りようがないからだ。幼稚な悩みだが、当時は本当に幼稚だったのだから仕方ない。

 ちょうどパソコンに触れ始め、「リアルでは絶対に会うことは無いが、親しく連絡を取り合う」という関係性があちらこちらに発生した。当時は中学生、ネット越しの友人に会いに行くというのは色んな観点からして禁忌で、夢物語だった。だからこそ語り合える内容があり、笑いあうことが出来た。その中には当然、性的な内容も存在した。

 性に興味津々な年頃の子どもの前にパソコンなんて置いたらどうなるか、そんなもの考えるまでもない。そりゃあもう欲の限りを尽くして検索し、そういう関係のサイトを見まくる。そしてやっぱり、興味のあるコンテンツについて後腐れない相手とそれで盛り上がりたいと願う。私のコミュニティではそういう話をするための、閲覧制限がかかったチャットが開設されるほどだった。

 普段は性差を感じることがなくても、性そのものの話をすれば自ずと意識はそちらに行く。私はそういうのが好きではないとされている性別の方だったから、そもそも話に入れてもらえないということもあった。悔しかった。私だって興味はあるのに、生まれついた性別のせいでこんなにも不遇な目にあうのか、と怒りに燃えた。そこで私がやったのは「いかにそれに対して積極的であるか」という証明だった。

 単語ひとつで喜ぶような年齢である。おそらく、「スケベ単語版広辞苑」的なものが存在してそれを独占出来たなら、神様に等しい扱いを受けていたのではないかと思う。知識の深さは性的ジャンルの単語をどれだけ知っているかと、それの意味を正しく知っているかという点に収束していた。

 年齢的にも権利的な意味でもちょっとよろしくない漫画サイトを読みふけり、その漫画につけられていた大量のジャンルタグの中で興味をそそられた物や知らない物があればそのタグに飛び、また読みふける毎日を繰り返した。当然、ゲテモノもたくさんあった。嘔吐恐怖症だというのに吐物を性的に見るタイプの漫画だって読んだ。

 結果だけ言うのなら、私は勝利を収めた。知識量で圧倒し、名誉的に立場を認められた。そこで終われば、私はただのちょっとやべーやつで済んでいたかもしれない。

 手段と目的が入れ替わる、というのはこういう時に使う言葉なのだと思う。私はすっかり性的知識の収集に没頭するようになった。知らないことを知る、それが楽しくて仕方がない。脳のシナプス歓喜する。それに関して言えば、今も習慣として完全に消えたわけではない。そのおかげか、電子書籍サイトの本棚はわりとこってりとしたニッチジャンルで埋まり、実用のために開くとちょうど良いものがなくて困ることさえある。

 現実的な問題が大きくなるのはここからだ。知識の中には、私が自分の身を犠牲にすることで得られるタイプの物があった。絶対にそれを得られない時に膨らんだ興味は一気に爆発した。ゲームを取り上げられた子どもが大人になった時に中毒者になるのと同じだ。病んだし、体は傷ついて文字通り血を流した。そしてまたそこで目的は代わり、知識以外の物を欲するようになった。

 そこにあったのは、すっかり出来上がった性依存症患者の姿だった。まわりから見れば単なる快楽に溺れただけの人間だったが、私だけは、私がそこに求める別の物を知っていた。私の性別では得られないもの、過程で失ったもの、そして知らないもの。全てだ。結果として残る、両者間での支配感。それをすると決める自己決定権。まだ見ぬ娯楽、秘められた場所でのみ発生する研ぎ澄まされた演目。

 性的に放漫であるというのは客観的な事実であり、同時に都合の良い皮だった。そういうことにしておくと、楽しいことが自分から寄ってきてくれる。猫に食われる鼠でしか無いと知りながらも、それによって得られるスリルと経験はあまりに尊かった。今でもそうだ。安全策は講じても、根本は変わらない。

 危険も快楽も私にとっては同じ刺激物だったし、それらは等しく麻薬だった。それの中毒者であったことは否定しようもない。自己正当化するような文を少しばかり同情を誘うような書き出しで垂れ流してはいるが、事実として中毒者だったし依存症患者だったのだ。違うと言って何になる。

 ひとつ言いたいのは、それらが私の生来持っていた性質なのではなく、趣味が高じた結果であるということだ。そしてそうなった理由には症状や感情が絡んでいる。この性格自体が大きな症状であると言って過言ではない。だから治療が終わってしまったり、私が私と和解してしまえばそれらはあっけなく消えるだろう。だって症状なのだから。

 私は今こうであるが、これからもこうである保障はなく、全ては通過点にすぎない。スケベスキーとしてコンテンツを生み出す創作者になるのか、肯定されやすい自己表現に縋るのか、あるいはそのどちらも捨ててしまって別の方角に歩みを進めるのか。私は自分が織りなす人生という物語の展開が楽しみで仕方がない。

血の色をした花を贈る日

 日々の感謝をこめてカーネーションを贈る。とてもわかりやすくていいと思う。バレンタインやホワイトデー、個人の誕生日なんかよりよっぽどやりやすい。関連を持てそうな企業はそわそわと広告を流すし、花屋はわかりやすくカーネーションやそれっぽいアイテム(フラワーバスやプリザードフラワー各種)を店頭に出す。参加しようと思えば脳死で五百円程度出すだけで「やった気」になれる、ありがたい日だ。
 私も、去年や高校最後の年なんかは参加した気がする。(感謝し物を贈る日に参加もくそもあるのかは知らないが)カーネーションとちょっとしたケーキ、あとハーバリウムをサプライズで贈った。とても喜んでもらえたし、その反応をもらえたのが当時は嬉しかった。

 今はそのことについて思い出すだけで胃粘膜が焼けるような感覚に襲われる。

 ここ数年で修復不可能なレベルの喧嘩をしたとか、今更感謝するという行為に恥ずかしさを感じるようになったとかそういうのではない。なにもない、と言えば嘘になるが、何かあれば怒鳴り散らし私をこき使った昔に比べれば、随分と丸くなった。理解するかどうかを度外視すればきちんと話を聞いてくれるようになったし、子守りを押し付けなくなった。まぁ、子守りに関しては対象がそれを必要としなくなったからというのが大きいが。

 私はまだ自分の面倒を100%見ることが出来ない。特に食事方面が壊滅的だ。材料を揃える、作る、それらを管理することが難しい。米を炊くのすら若干怪しい。まだ学生であるという金銭的な理由もあるが、私は未だに独り立ち出来ていない。そういう意味では、まだ母親の「親」には養育者という役割が色濃く残っている。

 感謝するのが妥当なのだとは思う。ここ数年だけを切り取って見れば。でもそうはいかないのは、私の生い立ちに理由がある。母は毒親で、私はとても広義に解釈した時、被虐待児に分類できる立場だった。そのことについて、私と母の認識にあまり深い溝はない。酷かったし、やり直せるならやり直したいし、償いや許しでどうにかなるのなら、そうしたい。お互いがそれを望んでいる。でも、過去はもう戻ってこない。タイムマシーンはどこにも存在しない。

 感謝すべき母の苦労と同じだけ、償ってほしいことがある。そのことを考えると、食道のあたりがかぁっと熱くなって、私の意識は少しだけタイムスリップする。あの日、あの時、あの瞬間、母が私に投げつけた言葉。頼りない背中。ぐちゃぐちゃになった部屋、etc.カーネーションを見ると思わずにはいられなくなるのだ。「私も素直に感謝出来る母親がほしかった」と。私はいつまでもわがままな子どものままだ。

 背伸びして、過去を見捨てて、あるいは全てを抱きしめて、精一杯感謝しようとした時もあった。それらは今、枯れずに残った置物として窓際に並んでいる。でもそれは私が私自身を殺していたにすぎない。世間一般が考える、理想の母子の姿。それに憧れ、表面を軽く擦っただけ。憧れて、見様見真似でやってみただけ。「母が求める娘を演じる」というトラウマを再演したに過ぎない。

 母だって、そうなりたくてそうなったわけでも、そうしたくてそうしたわけでもない。私の一番古い記憶があるときから、母の一番近くにいたのは私だった。だからわかってしまう。あれらはどうしようもなかったのだ。

 母に抱くのは、いつだって哀れみと諦めと懺悔だった。いつしか学校で書かされた感謝の手紙には、謝りたいことが箇条書きで並んでいる。それに関しても、年齢的に成人を迎えた後、きちんと書き直している。母が立派な親になりたがったように、私も立派な娘になりたかった。私がもしも自殺したと空想した時、一番最初に思い浮かぶのは、常に私の遺体の前でむせび泣く母の姿だった。認めたくはないが、私は心の奥底で母を慈しんでいるのだろう。ただただ、弱い人を可哀想だと壊れないように丁寧に扱う。そこに美しい愛なぞ存在しない。

 カーネーションを見ると、その裏に理想的な母子を思い描いてしまう。心の底から感謝して贈る一輪の花を嬉しそうに受け取る姿。温かくて、健気で、可愛らしささえ感じる家族の営み。私が同じ花を買い、同じように渡しても、絶対に内面まではなぞることはできない。その悔しさが、私の目をカレンダーや親の期待した顏からそむけさせる。

 植えつけられた完璧主義が故に、私は望ましい人間を演じたがる。その気持ちが、私に花を贈れと急き立てる。嫌がると、後悔するぞと脅すのだ。一年に一回しかないこの営みを逃せば、もうお前は完璧ではいられなくなるぞ、と。何か用事があって外に出ることがあれば、私はその渇望から逃げられなかったかもしれない。いつもありがとうと言いながら、血の色をした花を贈る。恩義なんて塵程度しか感じていないのに。

 いつか、本当の意味で感謝出来る日がくればいいなと思っている。その時には、奮発して花束を贈りたい。それが、たとえ墓前になったとしてもだ。

感情バグへの恐怖

 昔から転んだ友人に駆け寄ることが出来ない子どもだった。

 異常なのは今に始まったことじゃない。生まれた時から変わった子どもとして扱われ、それを自身の肌身で感じながらすごしていた。違和感を違和感のまま抱きかかえ、とりあえずちょっと置いてみたり、観察してみたりしているうちになんとなく対処方法を覚え、深く考えることなく忘れ去っていた。

 心という見たり触ったり出来ない物を当時の友人(と認識していた人達)と擦り合わせをしようというのは、なんとなく怖くて。避けていたのだと思う。他者に心の在りようを任せるのは社会性を持つというのと同義で、わざわざその違いを確認し、言葉の真意を探るのは自分が露出魔になったり、相手の服を無理やり剥いだりすることのように感じられたのだとうっすら記憶している。それに、相手の感情や動機が理解できない、とだけわかっていることをばらすのは、今でもリスキーだと感じる。そこは変わらない。

 何故服を着なければいけないのか、毎日己に問うている人はいないのではないだろうか。偽ることに慣れてから、私は人と違うことをあまり気にしなくなった。心の底が違えど、友人が転んだ時には駆け寄って、手を差し伸べて、心配の言葉をかければいいい。そういう積み重ねだけが私を構成していた。毎日エラーを吐いては、小さな成功例を脳みそに書き留める日々。それらを成長における課題だと信じてやまなかった。

 中学生の真ん中頃、取り返すのが難しい形で体を壊した。過敏性腸証拠群と、おそらくストレスによる自律神経の破壊に付随してきた微熱。学校についてはトイレに駆け込盛り、数日すれば熱を出して家に籠る。わかりやすい、いじめられっ子の引きこもりパターンだ。それでも私は引きこもることを選択できなかった。

 あれは、もしかしたら感情の欠落が引き起こしたのではないかと推測している。いじめられっ子であるという自己認識はあったし、明確に敵意は抱いていた。だがそこに、助かりたいだとか自己は守られるべきだとか、そういう自分を尊重するようなものが一切含まれていなかった。敵意を持つ相手と比較をすることで自分の味方に立つことは出来たし、何より、ここまで内面が出来損なっていても肉体を持ち、そこに神経が通っていることに変わりはない。殴られれば痛い。だから殴られたくはないなと思う。それだけだ。人間に対しても、ウイルスに対しても、気候に対しても、態度は変化しない。肉体に不快感を与える現象に対して消えてくれたら良いのにと思うだけ。

 この自己を尊重したいという感情を、私は未だ上手く自分の物に出来ていない。少し気を抜けば身を滅ぼすまで神経をすり減らしているし、その逆もまたしかりだ。だいたい、そこには自分か相手の屍が転がっている。自分の意志と身体のバランスですら危うい。自分のやりたいことのためなら、自分の命を差し出して勝ち取りに行く。それに対する当然の心配を、搾取者の支配であると切り捨てる。

 転びそうだからと駆け寄られているのに、その心の内を理解出来ないのだ。

 手を振り払うだけならまだしも、逆上して相手を傷つけてしまうとは何事だ、と落ち着いてみれば思う。しかしそれすら一時の感情の波に飲まれてしまえば見失う。死にたいという破滅願望を自覚してから、これらはより一層酷くなった。

 おそらくまだ、私がわかっていないだけで色んなものが欠け落ちている。自分だけが持っていなくて、他の人が多少形は違えど同じものを持っている、という事例に今後も気づけるのだろうか、と考えると恐怖でいっぱいになる。見えないのだから、知りようがない。私にとっての赤が、他者にも同じ赤に見えているとは限らない。そもそも言葉なんていうものに心は完全に落とし込むことが出来ないし、その心がどうなっているかだって全てを把握する術は、現在どこにもないのだ。

 しばらくは布団の中で震えあがっているか、こうやってひたすら文字に叩き起こして自分を実験動物のように扱う日が続く。ある意味での死刑宣告だ。